パリ北駅の近くを散歩しながら、クルド人クラスメート達を思い出す。

フランス社会・街並み・建築
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今日から新学期。休みの間は、
街歩き等に没頭していたので、気分一新です。

相変わらず、授業初日は教室にいる人数が
若干多いのですが、小テストもあったので、
これからまたレベルを上げる人、下げる人など、
クラス移動が行われる事と思います。
果たして誰が今回のクラスメートになるのやら。

新学期は週末のブログアップを予定しております、気長にお付き合いくださいませ。
(短い話は、平日にも書けると良いな。)

10区、パリ北駅の近く

(画像:Unsplashから)

この休みの間、パリ10区付近を歩いてきました。
パリ北駅からは
ユーロスターに乗れば、ロンドンまで2時間強。
タリスに乗れば、ブリュッセルまで1時間半。
(東京〜名古屋なみ!)
それだけ聞くと、夢が膨らむ駅だ。

でも、10区の北駅付近は、治安が悪いので有名。
駅には目つきの悪い人が沢山います。

今回は初めてで様子がわからなかったので、
なるべく歩かず、バス便も利用しつつ
街をチェックしてきました。
出来るだけ目立たない服装で…。
こぎれいな格好で行くのは向かない場所だと思います。

同じ10区でも、リピュブリック広場の近くには、
2012年に賞を取ったブーランジェリー
「Du pain et des ideés パンデジデ」も
あったりするし、
(ここのPain des amis大好きです)
場所によって雰囲気は大分違います。

アジアティックは少ないエリア

アフリカ人街、クルド人街などもあり、
アジアティックは割と少ない地区です。

北駅から、まっすぐセーヌ川に向かう
ストラスブール大通りには、
(途中からセバストポール大通り、と
 道の名前が変わります)
ブラックアフリカン御用達らしき美容院&床屋が
何軒も軒を連ねていて
ここはアフリカ?と思うくらい。
衣料品のディスプレイも、他の地域とは全然違う。

アジア人、ほんとに居なかった!
っていうか
一眼で写真撮るのを思わず控えました。
超目立つ。

クルド人女性活動家の事件

(画像:Unsplashから)

ここで10区について、最近のつらいニュース。

1月中旬の夜、北駅近くにある
クルド人情報センターの建物内で、
若いクルド人女性活動家(政治家)が3人
殺害されました。
いずれも、組織の中心的な人物だそう。

頭部を撃たれており、
処刑のかたちをとられたのではないかと
いわれていますが、
一ヶ月たった今でも犯人は捕まらず、
真相は謎のまま。犯行声明なども一切無し。

当然、既にクルドの政党団体からは
非難声明がだされ、フランス政府に対して
捜査情報を開示するように要求しています。
フランスではこの事件を
対テロ対策部門の人間が担当する模様です。

クルド人は
トルコ、イラン、イラク、シリアなどの国に
別れて暮らす、国家を持たない民族です。
よってどこかの国ではなく、クルドの政党から
フランス政府に物言いをするカタチになるようです。

クルド人クラスメートの話

パリカトに通学するクルド学生は、ヒジャブはせず、こんな感じの一般的なパリの若者の服装でした。(画像:Unsplashから)

クルド人といえば…
私、昨年の春学期から夏にかけて、
クルドの公費留学生の一団と
半年程、一緒に学びました。

勉強熱心な子、ひょうきんな子、
20代のいろんなクルドの若者に出会いました。
最初の頃、私が全く仏語が聞き取れなくて
凹んでいたのを励ましてくれたのも
クルドの女の子でした。

彼等の母国語はクルド語で、
フランス語とは文字も文法も全然違うそうです。

ムスリムなので、ラマダンの間はどうやって
過ごすのか聞かせてもらったり、
大切な春分の祭りの映像を見せてもらったり、
初めて知ることが沢山有りました。

現在、彼等は
各人の専門分野に分かれた大学に進んで
数名はパリに居るようですが、
フランス国内であちこちに散らばって
勉強を続けています。

↓ 渡仏当初の授業で、クルド学生と出会う話

矯正歯科医さんもいました。

一人、クルド人クラスメートの中に、
矯正歯科医だという男の子がいました。
中東にも歯科矯正の文化があるのかと、
ここでも一つの学びがありました。

彼は賢く、温かなお人柄で、
クルドやシリアの子達と私が
うまく仏語でコミュニケーションとれていない時
助け舟を出してくれたりしたものでした。

彼らの国で美味しいものは何かって話で
新鮮な牛乳がとても美味しいのだと
嬉しそうに話してくれました。
パリの牛乳は飲めないって(私も同意)。
私も、日本で低温殺菌牛乳しか飲んでなかった
せいかもしれません。

人生でいつか、クルドの人たちと、
その牛乳を味わえる機会があったらいいな。

彼らの生きる時間に、革命や迫害の歴史が重なっている

(画像:Unsplashから)

クルド人は、ウィキで見る限り
「世界最大の民族集団」とあります。
フセイン政権に迫害されたり
かつてトルコでも大量虐殺されたりしたのも
クルドです。

一人の女学生は
子供の頃に革命があったのを覚えていると言い、
ある考古学専攻の若者は、
現在も酷い迫害を受けているクルドの仲間に
ついて、心を痛めている様子でした。

彼等のリアルな人生の時間軸で、
民族の同世代が殺害されていく世界。
その事実を、YouTubeやFacebook上の映像で
残酷にもそのまま確認できている現代。

クルドの人の選挙の話が面白い

上記の通り、現在クルド人は
主に4つの国に分かれて住んでいるのですが、
(イラク、イラン、シリア、トルコ)
授業で選挙の話が出たときに
一人の学生からクルドの選挙について
興味深い話を聞くことができました。

例えば国籍「イラク」になっているクルド人は
(「国」が無いから、イラクとかトルコとかの
 国籍を持っているそうです)
イラクの選挙と、クルドの選挙と
両方に投票ができるのだそうです。

これにはクラス全員、驚きの声。

クルドはものすごく人数が多いし、
貧富の差も大きく、
民族の総意をまとめるのは簡単な事ではない、
とも言っていました。

おそらく、この留学生チームは
クルドの中でも富裕層にあたり、
自分達の考える理想だけがクルドの全てではない
ということなのでしょう。

そんな彼らは、日本人の同世代よりもずっと
自分達の民族の将来を
常にどこか深く気にかけているように
見えたのでした。

世界を、ひろく横に繋げて考える

(画像:Unsplashから)

同じ20代でも、
日本の20代が抱えるものと、
クルドの20代が抱えるものは、こんなにも違う。

私は最近、自分と同じ世代が
世界中でどんな風に生きているのか
横につなげて考えてみる事が増えました。

どんな人生を送り、
どんな記憶を抱え、
何を大切に思うのか?

昨年、私のゼミの担当教授の山中正剛先生と
メールでちょっとしたディスカッションをして
「40歳 定年案」について話しあった時の事。

日本の40代だけが大変なわけじゃない
 世界中、みんなそれぞれ
 もっと色んなものを抱えているんだから。
 『自分たちだけ不幸だ、大変だ』
 なんて考えても何も良い事は無いし、
 もっと外に出て視野を広げるべし」
っていうのが結論でしたよね、先生(笑)?!

最近、そんな風に、よく思うようになりました。

パリは狭いので、またあのクルドの学生たちに
どこかでばったり会う事もあるかもしれません。

今は何より、
彼等が無事に勉強を続けていけるよう、
心から祈っています。

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