シャイヨー宮めぐりの続き。シテ建築遺産博物館に行ってみた

美術館・博物館
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昨日の記事の「海軍博物館」に続いて、
今度はシャイヨー宮のもう一つの施設
「シテ建築遺産博物館」に行ってみました。
(Cité de l’architecture et du patrimoine)

あのエリアは、エッフェル塔を眺める以外にも
面白い美術館や博物館がたくさんあって好きだなあ。

Rudy Ricciotti展、狭い館内でも楽しめる工夫

現在、建築家の Rudy Ricciotti 展 を開催中。
Ricciotti氏は、ルーブル美術館の
イスラム美術部門の設計をしている方です。

建築博物館 Ricciotti
新設の、ルーブル美術館 Department of Islamic Arts
テントのように垂れ下がるフォルムの屋根

シテ建築遺産博物館の展示スペースは
それほど広くありません。建築家展につきものの、
建物の全体模型の展示は、2つだけ。

パネル以外の展示物は、
実際にその建築に使われたパーツが床に置いてあり、
直接さわれるようになっていますが、
それも数個程度。

それにもかかわらず
この日、私が何時間も滞在してしまったのは、
建築空間を疑似体験できる
大画面のスライドショー上映を
何度もリピート視聴していたからです!

建築「展」で、建物と空間を体感するには

今回のスライドは、
高さ約3m、幅約8mの画面に
Ricciottiの作品を次々と映し出すもの。

椅子に座って眺めると
有効視野角より広いせいか
何となくその建物の中にいるような感覚を
味わえるようになっていて、
これが大変見応えありました。

ああ、成る程。

建築展って、模型や図面もいいけれど、
本当は実際にその場所、その空間に赴いて
体感してみないと
判らない事が沢山あるのがジレンマだからね。

ここでは、会場の狭さを上手い事?利用して
来館者の視野角いっぱいに広がるスクリーンを使い
疑似的にですが
その建物を体験できるようにしていました。

別に、3Dシアターでなくても
人間の脳は
これだけで立体っぽく楽しめたりするのか。
シンプルだけどいいなあ。楽しい。

実際には、世界中を旅行して
Ricciotti建築やその計画地を見て回るなんて
難しいからね…。大画面、いいね。

パリにいながら、世界建築旅行の気分。

写真撮影禁止ではなかったので
スライドや展示をいろいろ撮ってきました。

例えば…
これはスイス山麓に計画された、音楽ホールの断面図。
(実際には建築されなかったものです)

Gstaad concert hall 2009(Unbuild)

図面だけだとイメージ湧かず…
でもこの断面図の後、
完成予想CGがスライドで映し出され、
画面いっぱいに、雪の舞う山の景色と建物…
気分は一気に、スイス旅行。

それから、フランス南部マルセイユのMuCEM。
(ヨーロッパ地中海文明博物館)
こちらは、実際に建ったプロジェクト。

Museum of European and Mediterranean Civilizations

フランス東部、コルマールの美術館拡張案。
(計画案のみ)

Unterlinden Museum (Unbuild)

フランス、エクサンプロバンスの
コレオグラフィーセンター。

National Choreographic Centre – Black Pavilion
これは模型がありましたね

フランス サンテティエンヌ。
山奥の礼拝堂計画。(計画案のみ)
個人的には、実現していたら行ってみたかった建物のひとつ。

Sanctuary Notre-Dame du Laus Saint-Étienne-le-Laus(Unbuild)
見えづらいですが、大きな窓の中央に十字架が浮かんでいます。

もうこれだけで、欧州あちこち行った心持ち。
パリのトロカデロ広場近くにいるってこと、忘れてました。

盛りだくさん!シテ建築遺産博物館

Ricciotti展とは別に、マルセル・ブロイヤー展もやっていましたし…


更にフランスの学生による
地方都市研究展示(ミニ展示)もあって…

私には盛りだくさんすぎる。
ここまでの時点で半日が過ぎ、もう閉館時間。
気づいたら、ここの常設展を見る時間がなかった…

スライドの前でどれだけ瞑想?してたんだか(笑)
もう一回、常設展も見に来ないとね。

常設展入り口はこんな感じ

ちょっとしたカフェもあります。

天井の高い、開放的な空間。紅白+メタリック色のインテリア

終日の見学、おつかれさまでした…。

個人的感想。情報を浴びまくると、吹っ切れることがある(たまに)

今日いちにち、いろんな時代の建築や情報を
数限りなく見て歩いてたら、
何だか急に吹っ切れたことがあります。

私はこれまで主に
人の住む建物に関わる仕事をしてきて
「この建物が
 この街に残っていくのに
 このカタチでよかったのかな」とか
答えの出ない妙なモヤモヤに
とらわれてしまうことがあったんですよね。

(今は仕事から離れ、
 建築を供給する側から、享受する側になり、
 シンプルに、楽しみながら街や建物を
 眺めているはずなんですけど…)

今日見た限り、人類がこれだけいろんな建物を
造ってきているんだし、最早、いいも悪いも
どうでもいいんじゃないかって、
急に、思った。
どっちでもいいわって。

古今東西、それぞれの文明が造る建築の有り様は
遠い未来の子孫達に残る、その時の気分を記した
手紙みたいなもので。
今、私が見てる建物たちは、そんな手紙だと思えば
正解も不正解もないわ。

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