今日は、ヌイイ市からパリ市内に戻って、街歩き。
パリ市北東、19区と20区をわける
Rue de Bellevilleを歩いてみました。
昨日の記事と比べると、また面白いかも。
Rue de Belleville、道路拡張計画が進行中。
パリ市外側にあるPort de Lilas駅からスタートして
パリ中心方向の、Belleville駅に向かって歩きます。
こんな場所も。なんとなく東京都内にもありそうな風景。
そして、途中のJourdan駅に近づくと
通りの雰囲気が変わります。
急に道幅が狭くなって
古い建物がぎゅっと並んでいます。
どうやら、歩き初めのPort de Lilas駅付近は
道路拡張が行われたから
あんなに道幅が広々していたらしい。
かつては、このJourdan駅付近のように、
かなり狭い通りだった模様。
(よくもあんなに拡張できた、すごい)
道路拡張した場所は、高い建物を造れるらしく、
10階建のビルなんかもあるのですが
道幅の狭いところは6階建位までみたい。
Belleville地区の歴史
この地域に人が住んでいたという記録は、
すでに9世紀(日本は平安時代)の文献に見受けられ
その当時は、農家の小集落だったのだとか。
1543年(日本では鉄砲伝来の年)には
地域の教会が建てられ、
1800年代に入ってからは急激に人口が増えて、
1859年には、なんと7万もの住人がいたそう。
1860年のオスマンのパリ拡張計画により、
この地域もパリ市に編入されることになったのですが
なにせ若干、反体制の住人たちが多い地区だったので
土地の接収や再開発には大きな反発を招きました。
そこでオスマンは
「この地域は二分割にして、勢力を小さくしてやろう!」
と思い立ち、
ちょうどこのBelleville通りを境に
19区と20区を分けてしまったのでした。
そんな闘争の歴史があるエリアです。
ロベール・ドアノーが愛した、ピレネー通り
途中、かつて写真家のドアノーが愛したという
ピレネー通りとも交差します。
ここは、Belleville通りからPyrenees駅方面を見たところ。
ただ、このピレネー通り、歩いてみたけど…
今はフツーの商店街に見えましたが。
フランス人的にはどうなんでしょうね。
「昔ながらの味わいある通り」なのかどうか
私には判別できませんでした…。
むしろこういう工事現場の方が個人的には大好物。
両側の建物が倒れてこないように
ちゃんと突っ張り棒してた。
周りの建物と、べったりごっちゃに建ってるんですね。
国際色豊かな飲食店が並ぶ
さて、Belleville通りに戻ります。
この付近はインド、パキスタン、中華、ギリシャ、
エジプト料理等のお店を多く見かけました。
(北駅付近と違ってブラックアフリカン系のお店は少なめ)
この建物だけ、妙に傷みが激しいのが気になって
撮りました。工事看板が出ていたので、
近々取り壊すらしい。下のお店はまだ営業中。
傷みが目立つのは
パルコニーの手すり部分等が木製だから。
(左右の建物と見比べてみてください)
古びている上に
何のメンテナンスもされていなさそうな手すりは、
寄りかかったらバッキリいくだろう。
窓の大きさや高さは
一応オスマン式に合わせてるみたいなんだけど。
高台からは、パリを一望できる
パリ北東部は、ちょっと高台になっています。
Belleville通りからRue de Piatを入ると、
Parc de Bellevilleの上に
ちょっとした見晴らし場があり、
こんな風にパリを一望できます。
この日は、Belleville駅周辺の
チャイナタウンを歩く時間がなかったので、
近々また行けたらと思っています。
これはBelleville駅近くのRue Denoyez。
落書きの量がすさまじい。
100年後のRue de Bellevilleは…
ヌイイのたっぷりした緑を見た後だから、
余計に雰囲気の差を感じましたが…
道路拡張が終わって
今は雰囲気もへったくれもない場所も…
50年後、100年後には…
街路樹の高さが倍くらいに育ってくれて…
そうしたら、あの無愛想な10階建ビル群も
もう少し目立たなくなるんだろう。
きっと、100年後の誰かが歩くこの通りは、
全く違う雰囲気になっている。
私が、生きてそれを見る事は
おそらく無いんだろうけれど。
今植えられている樹々は
100年後の「誰か」への手紙みたいだ。
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