ブリュッセル旅行記② 街歩き+Wittermerでお茶を。

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パリから電車で、ブリュッセルに入る。
郊外の、晩夏の淡い緑の広がる平らな風景から、
気付くともう、いきなり「街」の中だったので、
少しあわてて、車窓から街の色とかたちを観察する。

風景の奥の方が、高くなっている事に気付き、
いま、盆地の中に入ったのがわかった。

街と空との境界線が、
建物ではなく、樹々のシルエットで区切られている。
パリでは見られない風景。
何となく、新幹線で京都に入った時の感覚を思い出す。

ブリュッセルをしばし歩いてから、
街の縁になっている辺りに立ち、中心部をみると、
グランプラスの市庁舎の塔が浮かび上がる。

盆地って感じがわかる

街の建物のカタチで、パリと違うなと思ったのは、
横に2連か3連の窓だけの、細長い建物が多い事だ。

一つ一つデザインが違って、面白い建物があると、
観光客が立ち止まって写真を撮っていた。

どうして細長建築なのかと歩きながら考えて、
そういえばここは、ギルドの街だったなと思いあたる。

小規模商工店主の集まりがギルドなわけで…
この細長い建物の1階は
小さなお店になっている事も多い。

一つずつの建物の規模が小さいのは、
不動産の所有権が
細分化されていた街である事を示す。

東京中心部で言うと、
江戸時代に元大名屋敷町だったところは
一つ一つの土地のブロックが物凄く広く、
(所有権がまとまっている)
それを明治以降、そのまま政府機関が使ったり、
外国大使館にしたり、大資本が受け継いだりして、
今でも大きな土地区画で、残っている。

一方で、土地の間口が狭く、
各区画もごく細分化されている場所では
(新宿や大久保等)
経済規模の小さい者が集まった暮らしの風景が
思い浮かぶ。

では、パリはどうだったかというと、
オスマン市長が資本家たちに
再開発への投資を依頼し、
そのまとまった投資規模に合わせて
建物を作っていったから、
(投資した人には、分譲物件でお返し)
パリの保護地区に残る一つ一つの建物が大きいのだ。

あわせて、あの時代のパリに、
まとまった資本をもった人間が、
結構いたことも想像できる。

そんな比較をしながら、
こうして美しく残る街並をみて、
ブリュッセルのギルドの人たちは、
相当たくましい人たちだったのではないか等
想像を膨らませる。

そして様々な自己主張を感じるファサードを見れば
個性も豊かな人たちだったのかと、
その賑やかそうな生活風景を想いうかべ、
なんだか笑ってしまう。

歴史って、笑える事ばかりじゃないだろうけど。

これはちょっと大きめの区画

ブリュッセル郊外の
日本人学校のある駅を出たところで、
振り向くと、ガラス張りの企業ビルのすぐ隣に、
やはり細長3連窓の住宅が並んでいた。

ちょっと日本みたいだけど

パリ郊外のマルヌやアントニーの
一戸建てが並ぶ風景とは、また違うのだ。

ブリュッセルで「いわゆる観光地」を見なくても、
街を歩くだけで、結構たのしい。

こんな裏路地も

おまけの話。
ベルギーといえば、王室御用達の菓子店、
ヴィタメールの本店に行っておかねば。

本店のショーウィンドウには、
ベルギー国王の何かお祝いがあったらしく
国旗の色やマーガレットをあしらった
巨大なケーキが飾られていた。

もちろん、サロンでケーキもいただく。
艶々のショコラケーキ。最高。

大きめサイズで、1個で大満足。

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