パリの道路と建物のカタチ。

フランス社会・街並み・建築
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テストとプレゼンの疲れをとり
落ち着いたところで
まとまったパリ話をもう一つ。

パリでは放射状の道路が多く見られます。
凱旋門の周辺もそうですね。

凱旋門の上から撮ってみました

放射状道路、丁字路の街を歩く愉しみ

建築屋の発想では
放射状の道路の角の部分には
三角形の敷地ができてしまうので
屋内が使いづらそうと思いますが…
建物の外観としては面白いものができます。

トラックまみれですが
ここも好きですね

碁盤目状ではなく
放射状の道路があるパリの街を歩いていて
楽しいのは、
道の先に「視線を止めてくれる美しい建物」が
見えてくること。

そして、丁字路の先にも大抵、
主役感のある建物が見えること。

「それがパリのPerspectif(眺め・眺望)よ!」
と会話クラスの先生が
地元自慢をしていましたが、
確かに自慢したくなるくらい、いい。
毎日見ていても、本当に…飽きません。

だから一度
この街に住んでみたかったというのもあります。
自分がこの眺めに飽きるのかどうか、
試してみたかったのです。

飽きるどころか。ますます大好き。(見た目の話)
個人の感想ですが。

Un pate de maison

パリの街は、以前に法定翻訳の記事でも
ご紹介したように、Un pate de maison という
下の写真のような
ロの字型の建物ブロックで構成されています。
(道路面に対してロの字型に建物を造る)

Un pate de maison の形が見える

先日街歩きをしているときに
Un pate de maisonの中庭にクレーンをいれて
工事している現場を、13区で発見。

ロの字の中に、クレーンが立っている。Pate入口の部分も補修中なのか、グレーの補強鉄筋が当てられています。その上の窓枠補強は、木材を使用しています。曲線デザインだからか。

近寄ってみると、内部までたっぷりと
陽の光が当たっているのが見えました。↓

内部も結構、明るいみたい

フランスでは
歴史的建造物の保全が制度化されており、
やたらと壊すことはできません。
1962年に制定されたマルロー法でも
こうしたオスマン建築等を国の文化遺産と捉え
保全していく仕組みが作られています。

自然災害の多い日本とは、
横並びの比較はできないのですが…

日本で
街中のある一角を壊して作り直そうってなると
①新しく作る建物は、道路の境界から
 セットバック(ひっこませる)させて
 空地をとり…
②上に向かって細長ーい、背の高ーい建物を作る

っていうのがお決まりのパターンですが、
そういう事例はパリではあまり見かけません。

でも、このセットバックで出来る
公開空地や提供公園は、
日本で大震災が起きた時に、
火災延焼を防ぐのには役立つかもしれません。

なんというバランス…

放射状の道になった理由

Boulevard Montmartre, 1906 Publisher: Lucien Levy & Sons. Paris.  Wikipediaより

もとい、話を道路に戻します。
そもそも何故、放射状の道が必要だったのか。

パリは馬の街。
フランスでは今でも乗馬がとても盛んです。
そして馬車は急には右折できない。
(乗用車と違う)
だから放射状に道を造って
馬がうまく方向転換出来るようにします。

ここで面白いのが、日本との比較。

パリが今の形になった1800年代、
日本は江戸時代。
江戸では大名達の反乱(革命)防止のため
江戸の市中では特に
荷物輸送の為の馬車の使用は
概ね禁じられていました。

荷物の迅速な大量輸送、人の移動は、
大名達の反乱を起こしやすくすると
考えての事です。

時代劇でも(最近はあまりやってませんが)
街道で、馬の背に荷物をのせて運ぶ様子は
見られますが、
市中になると、馬車は出てきませんよね。

市中での輸送手段は、大八車や牛車でした。
さらにその牛車の使用にも
「許可制」を取っていたという厳しさ。

牛車は戦争(革命)には不向きだから
江戸で荷物運びしても、まあ許す。
牛ではスピード出せないから、道幅があれば
90度 右折か左折して進むことも、何とか出来る。

だから、馬が大量に行き交うことのない
江戸の街の道路計画は
直角、碁盤目状のカタチでOKってこと。
古地図を見ても、江戸に放射状の道は殆ど有りません。

国立公文書館デジタルアーカイブより「正保年中江戸絵図」

江戸は、武士の街。商人や貴族の為の街ではなく
きわめて軍事的な考え方で作られています。

一方、パリはセーヌ川を中心とした
水運によって栄えた商業都市。
今はアートやファッションのイメージが
強いですが、そもそもが「商業の街」。
だからそこで、
馬による商品輸送や人流の効率は、大切になる。

江戸で革命防止としてとられた措置は
馬禁止のほかにも「入鉄砲と出女」など
いろいろありますが、
都市計画的に言えば
御三家や譜代大名の屋敷を
江戸城の防衛において重要な場所に配置し
外様大名の屋敷は
ちょっと遠くに置いたりしていたんですよね。

道幅はさほど問題じゃなかったのか。
でもクランクの道を作って、
通り抜けにくい工夫はされてる。
(パリの道幅の拡張については、モンマルトルの記事参照)

商業都市と、軍事都市で、
こんなふうに治安維持、交通、輸送についての
考え方が違い、街並みも変わると思うと
何だか面白かったです。

先日の授業では、こんな感じのプレゼンを、
何とかフラ語でやってみた。

パリのお洒落なスポットや
ファッションに興味のある学生層には
全くウケませんでしたが、
逆にちょっとオタク系っぽいメンバーには
ウケてました。

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