1月下旬のパリ街歩き。

フランス社会・街並み・建築
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最近のパリは毎日雨で
そんなに寒くありません。
テレビの天気予報では
いつもだいたい気温11度位。
これだと日本の方が寒いですよね…、
今年は少し変な陽気みたいです。

ここ数日の街歩きでは、私はコートを着ずに、
厚手のセーターとマフラーだけで
出かけています。
パリはいつもいろんな服装の人が歩いてて
誰が厚着だとか薄着だとか
お互いにあまり気にしないのが楽で良いです。

一日を通じて天候は不安定で、
グレーの曇り空→霧雨→本降り→又やんで…
を繰り返している。
スカッと晴れるわけではないし
いまいち広角撮影を楽しむ気分にはならず、
ひとまず今は撮影下見?に
あちこちをスマホのみで撮り歩いています。

さて、一月のパリって観光オフシーズンだけど
どうなの?って思われる方に
現地の様子をお届けします。

パリ大改造を、超ざっくり解説。

現在のパリの概ねの形は
1853年〜1870年にセーヌ県知事を務めた
ジョルジュ・オスマンが
大規模な都市整備事業を行った結果
出来上がったものです。

東京よりずっとコンパクトで
広さ的には山手線の内側程度。

幅の広い道には美しい街路樹が続き、
歩くのがとても気持ちのいい街です。

ちなみに、オスマンが整備する前のパリは
中世の姿のままでした。
道はごちゃごちゃ、ゴミは散らかり放題、
スラム街には乱雑な建物が密集し
とてもじゃないけれど
街歩きを楽しむような場所ではなかったそう…。

イギリスに端を発した産業革命の影響で
フランスでも人口は増え続けたものの、
首都パリの下水道等のインフラ整備は遅れており
とても不衛生な街でした。
そのせいでコレラ等の疫病が流行ったほど。
家々の窓からは日々ゴミが投げ捨てられ、
家畜が普通に街中の歩道をうろうろし、
まあ花の都とはとても言えなかったんだとか。

中世のパリの道は、こんな感じの作りでした。石畳なら通りの真ん中辺が凹んでいて、一応水が流れるようになっており、ここに各家庭の窓からゴミを投げ捨てていたという恐しくばっちい街でした…。もちろん、石畳もなく土のままの道も同様…。

一方で、同時代の江戸はもっと人口も多かったし
(世界トップクラス)、
既に下水道設備や資源リサイクルの仕組みもあり
ある意味では既に
とても先進的な都市だったんですよねー。

でも、産業革命に乗って
しっかり都市インフラや近代国家の諸制度を
整えたイケイケのフランスは、
1858年にはちゃっかり日仏就航通商条約
(いわゆる不平等条約)を結んでしまう。

世界を知り、
自国の国力と立ち位置を正確に知り、
適切な外交アピールをするって
ホント大事なんですよ。
日本は今でも外交下手だから、
フランスのしたたかなところや知恵を
もう少し見習っていいと思う。
(全部じゃないが)

写真を交えて、パリ散歩気分をお届け。

オスマンは、ナポレオン三世の意向に沿って
パリの古い路地や建物をほぼ半分(!)取り壊し
新しい街を作りました。彼の在任期間は17年。
その間に、山手線内の半分の広さのエリアを
全部ぶっ壊して作り直そうっていう…、
今では考えられない
ものすごい規模の大改造をしたんですよ。

そういえば
この頃はちょうどアールヌーボーの時代。
それっぽいものがパリの街のあちこちにあります。
この玄関の庇のデザインもそう。

この美しい庇に目がいってしまう

でも、その隣の建物のドアはこんな感じだったり…。

さらにその隣の建物は、建物自体は超シンプルで
柵やナンバープレートだけクラシックな雰囲気。

結構、建築デザインの混在ぶりはすごい。

歴史的に街並み保護すべきとされている地域を
外れているのか、
下の写真のような並びも見かけます。
おお、と思うくらいの組み合わせ。

ギャップがすごい

来年はパリに
ペニンシュラホテルがオープンしますが、
それもどうやら古い建物を
リノベーションして使う様子。
改修作業の現場の様子です。

アップにすると、装飾部分の下地が分かります。

窓枠を外したら、こんな木製の枠で支えをしておくらしい

パリでは、古い建物のリノベーションが多く
クラシカルな建物の一角に
モダンなインテリアショップが
こんな風におさまっているのもよく見かけます。
欧州の街歩きの楽しみの一つです。

昨日行ってきた12区のバスティーユ地区にも
廃線になった鉄道の跡をそのまま残しつつ、
高架下にデザイン系のお店を集めた
再開発地区がありました。
(よかったらGoogleストリートビューで、26 Avenue Daumesnil Parisを見てみてくださいね)

10年前に来た時にも「素敵だな」と思った場所でした。もちろん店はいろいろ変わってましたけど…

品物は安くないけど、面白そうな店が多く
外から眺めるだけでも楽しい。
新橋のガード下等より区画毎の天井が高く
高架下といってもだいぶ雰囲気は違います。
(新橋は新橋の魅力があって好きですよ)

そんなふうにオスマンが奮闘し
パリの道は明るく広く、分かりやすくなった。
民衆が革命を起こそうとしても、
ゲリラ戦がやりにくい街になった。
(道幅が広いと、簡単にはバリゲードが組めないんです)
これはこれで彼の都市整備の目的だったのでしょう…。

冬の薄暗いパリなので
晴れ晴れした写真にはなりませんでしたが
少しでも冬のパリの街歩き気分を
楽しんでいただけたら嬉しいです。

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